東日本大震災救援活動報告 NO.8

平成23年7月26日(火)

3月11日に発生した東日本大震災後、錦秀会グループは やさしく生命(いのち)をまもる の理念の下4月から宮城県石巻市、東松島市周辺地区を中心に健康相談・器材を持ち込みの上でのお食事の両面から救援活動を実施し、8回目のレポートとなりました。今回、7月15日(金)にJR石巻線渡波(わたのは)地区で活動をさせていただきました。当地ボランティアの撮影のご協力と活動参加メンバーの声によりご報告いたします。
7月15日(金) JR石巻線渡波地区

東日本大震災ボランティアレポート

東日本大震災ボランティアレポート

今回の活動拠点はJR石巻渡波(わたのは)です。地図を見ると牡鹿半島の根元に位置する地域で、この地域も広範囲に津波がおし寄せ、JR石巻線渡波駅を飲み込み甚大な被害を受けました。津波に大切な思い出も、いつくしみを持って育てた草花も流され、避難所として渡波小学校が地域の皆様の生活の拠点となっていました。駅に近く石巻の中心地に近い事由から物資は比較的届きやすい地域でしたが、多くの人々の生活が奪われたのは他の地域と同様で、冷酷な現実を目のあたりにし錦秀会チームは悲しい思いをいたしました。

東日本大震災ボランティアレポート

人々が集まり、そこで語り合う光景。話の内容は震災のこと、家族のこと、安否のことそれが混じり合い、喜びもあれば、残念なこともあり、交差します。しかしその共通な想いは人々の幸せをのぞみ、今日より少しでも前向きに歩んでいこうとされるその真摯なお気持ちでした。被害を受けておられる中でも ご老人の体調を気づかい、お子様の健やかな成長を願い、大切な人への思いを抱く、その穏やかなお気持ちが真の愛情と思いました。やさしく生命(いのち)をまもる の理念は私達にそれを語りかけてくれたと思います。

東日本大震災ボランティアレポート

今回の活動には錦秀会剣道部の部員も参加させていただきました。持ち前の粘り強さとフットワークの良さで活動も次々にこなし、お食事の用意で地域の皆様に貢献させていただきました。夏の日差しの強い中でも約300人の地域の皆様にお越しいただきました。

東日本大震災ボランティアレポート

地元の皆様のボランティア、並びに古川電気工業㈱のスタッフの皆様のご支援もいただき、用意は着々と順調に進みました。今回も理事長がお食事のご用意に参加。手際よく次々にお肉を焼きあげ皆様にサ―ブします。おいしく召し上がっていただくにはどのようにすればいいかを常々考えながら・・・。

東日本大震災ボランティアレポート

今回の一連の救援活動で新鮮な野菜を供給してくださいました仙台市中央市場にある㈱ダイゲン様の店舗です。被災地にも関わらず地域の台所を支えてこられたその気概には本当に敬服致します。救援活動に新鮮な野菜を常時供給いただいたことにここで厚く御礼申し上げます。

東日本大震災ボランティアレポート

さて、4月から開始した錦秀会グループの救援活動は今回で一区切りの終着点を迎えました。振りかえると色々なことが思い出されます。   当初、手探り状態で、ひたすら瓦礫の陸路を突き進み、被害にあわれた皆様に初めてお目にかかった時、その被害の大きさに驚きました。大切な思い出を失なわれた地域の皆様に言葉を失い、しばし私達の思いは虚空に漂いました。しかし、自分のことより家族の為、大切な人の為、ご老人の為に奔走される地域の皆様に錦秀会チームは心をうたれ強い活力を頂戴いたしました。
また、錦秀会チームがご用意したお食事を手に取り、おいしく召し上がっていただけた時の安堵と喜び。「おいしいね。ありがとう。遠く大阪からきてくれたのですね。」とお声掛けをいただいた時の嬉しさ。皆様の瞳の中に一条の光明を見出し幸せな気持ちになりました。
理事長からのサインボールを手にした子供たちの目の輝きに未来の笑顔が戻ってきたことを感じ、嬉し涙がこみあげてきたこともありました。
そして、錦秀会チームの看護師、管理栄養士、リハビリチームを温かく受け入れ、地域の皆様にご相談いただけたことで、チーム一同貴重な体験を得ると共に、人の持つやさしさの本質、真髄にふれることができました。
宮城県の地域の皆様、本当にありがとうございました。これら一連の思い出が私達の貴重な財産となり錦秀会グループのかけがいのない歴史の一頁となりました。
錦秀会チームは被災地を離れ大阪に帰り、通常の医療活動の日々に戻りました。しかし、私達は大切な思い出とともにこれからもずっと地域の皆様の心の中にありたいと思います。
やさしく生命(いのち)をまもる の光が輝く限り。いつまでも。

錦秀会グループ

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